かごしま茶の歴史物語-04

前回の歴史物語-03の続き。
http://www.kagoshima-cha.or.jp/cgi-bin/news/index.cgi?no=407
鹿児島の茶の起源には色々な説がありますが、有名なのは次の三つの説です。
①吉松町般若寺説(よしまつちょうはんにゃじせつ)
②野田町感應禅寺説(のだちょうかんのうぜんじせつ)
③金峰町阿多白川平家落人説(きんぽうちょうあたしらかわへいけおちうどせつ)

【鹿児島の茶の起源説】
②野田町感應禅寺説(のだちょうかんのうぜんじせつ)です。

(つづき)
  島津氏と茶との関わり合いからお話しします。
島津氏初代藩主の忠久公(源頼朝の子といわれています)は,幼少の頃,栂尾(京都山城)の明恵上人のもとで養育されたという記録があるそうです。なので,茶との関わりもあったのではないかと推察されます。
その後,忠久公が成長して,島津荘の総地頭職となった際に,薩摩入国に先立って,島津家の菩提寺として野田郷(現出水市野田町)に感應禅寺を建立し,栄西禅師を請じ開山したそうです。日本の茶粗といわれる栄西禅師との関わりにより,感應禅寺及びこの地域と茶とは何らかの関わり合いがあると思われています。
このように,茶の中興の祖と称される両者と島津忠久公が因縁深く関わっていることから,鹿児島の茶の起源と結びつけられています。

「かごしま茶の歴史物語」については、できるかぎり毎週金曜日にお届けしていければと思います。
お時間ありましたら、おつきあいくださいませ。
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