かごしま茶の歴史物語-05
前回の歴史物語-04の続き。
http://www.kagoshima-cha.or.jp/cgi-bin/news/index.cgi?no=417
鹿児島の茶の起源には色々な説がありますが、有名なのは次の三つの説です。
①吉松町般若寺説(よしまつちょうはんにゃじせつ)
②野田町感應禅寺説(のだちょうかんのうぜんじせつ)
③金峰町阿多白川平家落人説(きんぽうちょうあたしらかわへいけおちうどせつ)
【鹿児島の茶の起源説】
③金峰町阿多白川平家落人説(きんぽうちょうあたしらかわへいけおちうどせつ)です。
壇ノ浦の戦(1185年)に敗れた平家の落人五人が逃れ来て,このうち二人が阿多白川(現鹿児島県南さつま市金峰町)に住みつきました。この落人は京都宇治の人であり,白川の気候風土が宇治に良く似ていることから,この地を宇治野と名付け,自らも姓を宇治野と改めて茶を始め,代々宇治式製茶法を伝えたという言い伝えがあります。
現在でもこの地域の方には製茶技術を習得する人が多く,茶業技術研究団が組織され,茶期には県下各地に派遣され,活躍されています。
ちなみに,平家の落人の残り三人はどこに行ったのでしょうか。
三人は知覧の手蓑に行き,そこで茶栽培を始めたという言い伝えもあるそうです。(これが知覧茶の起源らしいです。)
蛇足ですが,栄西禅師の帰朝は1191年で,壇ノ浦の戦いの6年後にあたりますし,永谷宗円によって蒸し製の宇治式煎茶が考案されたのは,1738年頃といわれていますので,そのへんの矛盾を指摘される方もいらっしゃるかもしれませんが,そこは,平家の落人伝説というロマンあふれる物語として御理解ください。
「かごしま茶の歴史物語」について、今回で一区切りいたします。
長い間おつきあいありがとうございました。
また、かごしま茶の歴史について興味ある内容ができましたらアップしたいと思います。
【かごしま茶の歴史物語バックナンバー】
かごしま茶の歴史物語-01
http://www.kagoshima-cha.or.jp/cgi-bin/news/index.cgi?no=388
かごしま茶の歴史物語-02
http://www.kagoshima-cha.or.jp/cgi-bin/news/index.cgi?no=396
かごしま茶の歴史物語-03
http://www.kagoshima-cha.or.jp/cgi-bin/news/index.cgi?no=407
かごしま茶の歴史物語-04
http://www.kagoshima-cha.or.jp/cgi-bin/news/index.cgi?no=417