かごしま茶の歴史物語-03

前回の歴史物語-02の続き。
http://www.kagoshima-cha.or.jp/cgi-bin/news/index.cgi?no=396
鹿児島の茶の起源には色々な説がありますが、有名なのは次の三つの説です。
①吉松町般若寺説(よしまつちょうはんにゃじせつ)
②野田町感應禅寺説(のだちょうかんのうぜんじせつ)
③金峰町阿多白川平家落人説(きんぽうちょうあたしらかわへいけおちうどせつ)

【鹿児島の茶の起源説】
②野田町感應禅寺説(のだちょうかんのうぜんじせつ)です。
この話をする前に,まず,日本の茶の起源についておさらいしましょう。
茶の古い記録には,天平元年(729年)に聖武天皇が,その誕生会に百僧を宮廷に招き,四日間に渡って「大般若経」を講読させ,その二日目に「行茶」と称して,文武百官に茶を賜ったとあります。また,僧最澄,空海がそれぞれ茶種子等を伝えたという説等々があります。その後約370年にわたって茶に関する記録が途絶えました。

建久二年(1191年)栄西禅師は,中国から茶種子を持ち帰り,これを筑前背振山(現在の佐賀県)に播きました。その後,種子を明恵上人に贈り,上人が栂尾(京都)に植え,さらに宇治,大和,伊賀,伊勢,駿河,武蔵など国内各地に広めたといわれています。さらに,栄西禅師は「喫茶養生記」を著して茶の効用を述べました。
栄西禅師,明恵上人の奨励によって茶は再び興り,次第に国内に広がって飲用されるにいたったので,この二人は茶の中興の祖と称されています。(つづく)

「かごしま茶の歴史物語」については、できるかぎり毎週金曜日にお届けしていければと思います。
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